メンタリックス (Vol.2-10)

 今回は新しい造語について語りたい。数年前に比べて、知財の世界も多様な問題を抱えるまでに成長してきた。例えば、基本的なルール作りに関しては、大上段に構えれば、20世紀型の知的財産制度や産業経済政策の枠組みの中で物事が進行してきた。巨大な資金フローを左右する事柄に関しては、会合による合意形成が行われ、デファクト(defacto)に基づく、知財の本位制が採択されてきた。ローカルな市場に関しては、レッセフェール(laisser-faire)、つまり、自由放任のままでも、知識社会は成長し、自らの問題をその内部において解決できるものとされてきた。しかし、現実の世界は、そのように単純ではない。知識社会の内深部に降りてみると、多くのことは、その逆を流れている。ローカルな市場はレッセゴール(laisser-"goal")のかたまりであるし、デジュール(dejure)に基づく知財の本位制が幅をきかせている。基本的なルールについては、具体的な方法論をつかめない状態にある。

 このような知財のモザイク状況を射程距離においてみると、新しい方法論を作り出す必要があるのではと思うようになった。そこで、多くの先駆者たちがたどった道を模倣して、「知財学(Mentallics;メンタリックス)」という言葉を造語してみる。対象とする領域は、知識社会の環境構築とその課題、知財の社会的関心事の類型化、知財の政策・戦略的方法論、知財の動向分析・評価の方法論、知財の倫理学・哲学的接近という具合である。もともと、知財は複合領域なのであるから、隣接する在来の方法論の範囲にて処理できるとのではないかとも考えた。しかし、欲しいと感じている領域は、MENTALLICS: Methodologies of Environmental Networking Technology Allied with Intellectual Assets & Commons in the knowledge based Society。なにやら、ウソぽい英語の羅列であるが、いいたいことは、知財学:知識社会における知的資産と公益に連携した環境網構築技術を体系化し、理論と実践を探求する学問領域なのである。「環境網」としたのは、知財が人間の心的活動(Mental Activities)から切り離された成果物(Outcome)であるという前提を考えたからである。

 ドラッカーやポーターや青木や野中やアーカーは、かつて、企業の論理の中から、これからの知識社会の基本的構図を次のように考えた。それに尾びれ、背びれを付けて膨らましてみる。「知識社会では、生産手段が(価値の創出手段という言葉の方が適切だと思うが)、個々の知識人(労働者という言葉ではなく、発明者を含む人々であり、知財を使う人々)の環境を構成し、その知識人とともに自由に異動し、変転していく」。であるとすれば、知識人と、「社会(企業、NPO、地域コミュニティ、国際的共同体等々)」との連携が作り出す、いわゆる、「環境網」は、どのような「技術」を必要とするのか。そして、知識人は将来の動向に対してどのような推論の輪を作り上げるのか。その連携と推論の輪にプラスのシナジーを作り出すための理論・方法論はいかにあるのか。企業の論理を越えて、「プラス」のシナジーを判断する上で求められる21世紀型の価値観・倫理観の所在はどこにあるのか。論は、尽きない。仮に、その環境網の中に、ルールに対する信頼という、極めて曖昧な、つまり、エントロピー値の高いコア(核、たぶん、知財のかたまり)があったとする。信頼を確実なものにするため、知識人はそのコアを形成する知財のかたまりを獲得すべく努力するはずである。果たして、そうであろうか。レッセフェールの状態になっているとすれば、物事を先送りする体質をもった知識人と、せっかちで生真面目な知識人との間のエントロピーは高くなるだろう。二者の距離感は許容範囲を越えるだろう。そのとき、どのようにして社会はコアを復元するのであろうか。知財のかたまりに序列をつけたレッセゴールの世界に戻ることになる。あるいは、未知の知財をコアにした新たな本位制が作り出されるのかもしれない。



菊池 純一(きくち じゅんいち)
 知財評論家。長年知財価値の勘定体系はどうあるべきかを研究してきた某大学の教授。1951年生。