第1回 職務発明問題の本質

 「会社と発明者が交わした社内規定に基づいて支払いがなされている以上、それで報償については精算済みという考え方もありうると思うのですが、そうはならず、発明者が報償について追加して請求できるのはどうしてなのでしょうか?」

 この問題は、社内規定と法律(報奨金を定めた特許法35条4項)とは、どちらが優先するのかという問題です。もし、社内規定が優先するのであれば、社内規定に基づいて支払いがなされている以上、すでに精算済みという考え方になるからです。他方、法律が優先するのであれば、発明者は社内規定による支払いに加えて、法律の定める条件に合致するレベルまで報奨金を請求できるという結論になりえます。

 一般に、社内規定のような当事者間の合意と法律との優先性については、

当事者間の合意>法律

とされています。(このように、当事者間の合意に劣後するような法律条項のことを任意規定といいます。)

 しかし、法律条項によっては、

当事者間の合意<法律

というように、当事者間の合意に優先して効力が認められるものがあります。
(このように、当事者間の合意に優先する法律条項のことを強行規定といいます。)

 そこで、特許法35条4項が任意規定なのか、強行規定なのかが、本件においては重要になるのです。ところで、ある法律条項が任意規定か、強行規定かという点は、法律には書いていません。裁判所が、その法律条項の趣旨などを勘案して決定するのです。

 先のオリンパス判決(東京高裁 平成11(ネ)3208 特許権 民事訴訟事件)において、裁判所は特許法35条4項が強行規定であることを再度確認しました。その結果、社内規定よりも特許法35条4項が優先するので、発明者は、社内規定による支払いに加えて、法律の求める条件に合致するレベルまで報奨金を請求できるという結論になるのです。裁判所が特許法35条4項の強行規定性を認めてしまった、という点が本件のような類型の訴訟(報奨金請求訴訟)の問題の本質です。




 この結論は企業経営にとって大きなリスクがあります。というのは、企業は発明者が報奨金請求訴訟を起こせば、何らかの債務を負う可能性がある、つまり、発明者による報奨金請求訴訟の提起を条件として具現化しうる潜在的な債務リスクを常に負っている、ということになるからです。そして、この債務リスクは、企業がまっとうな知財管理、例えば、発明者との間できちんと発明報償規定について合意をしていたとしても、発明者がひとたび訴訟を決断すれば生じるという性質のものであり、企業経営の視点からすれば非常に不安な事態が生じているといえるでしょう。(しかも、数億円単位の額になる可能性もあるのです。)

 本来、発明者の報償を含めた待遇にどれほどの予算を当てるかという問題は、企業自治の問題であり、何人の干渉も受ける筋合いのないものです。しかし、現状では、報奨金請求訴訟を媒介として、そのような企業自治に対して、国家権力である裁判所が干渉できるという状態になっており、なにやらいびつな状態が生じているように思います。

 もっとも、かつてある企業のエンジニヤとして生計をたて、「発明者」という身分を取得した経験もある筆者としては、我が国のエンジニヤの待遇が著しく低いことも文字どおり骨身にしみて理解しており、このような発言をすること自体、複雑な思いがありますが・・・・


鮫島 正洋(さめじま まさひろ)
 知財評論家。知財に絡む社会の動きを怜悧に捉え、万人にその本質を伝えることをモットーとする。酒と美食を愛し、堕落を旨とするが、知財に対する想いは人後に落ちないと自負する知財エバンジュリスト。表の顔は「弁護士」、知財マネジメント・コンサルを隠れた生業としている。