第3回 オリンパス事件・最高裁判決を読んで
  〜職務発明問題の議論の灯を消してはならない



 最高裁判所とはすぐれて行政的な司法機関である。

 2000年の富士通-テキサスインスツルメント判決において、特許無効による権利濫用の法理を是認したときも、下級審におけるトレンドのみならず、国際調和、特許による産業強化をという我が国の政策を反映して、侵害裁判所においても実質的に特許の有効性を評価判断できるということを宣言し、特許権の権利行使に原被告が十全に攻撃・防御を全うできる枠組みを作り上げたといってもよい。(ある裁判官によれば、それ以前は、権利範囲を広く認定しようと思っても、後日、特許庁にて特許無効(減縮訂正による権利範囲外)とされるおそれがあることを考えると、安全サイドに心証を振り、「絶対に無効とされない範囲」に権利範囲を限定解釈せざるを得なかったという。これが、「狭い権利解釈しか認められない日本」という形で米国から非難を浴びたのである。)
 その結果、東京・大阪両地裁・高裁の知財事件所轄部は実質的に我が国の特許裁判所として機能し、日本の知財政策の一翼を担っている。

 この例でわかるように、最高裁の実質は政策実現機関であり、通常の司法のイメージとはかなりかけ離れている。つまり、最高裁は、一定の政策判断に基づいた社会的枠組みを形成するために、ある事案を利用し、これを法律解釈に基づく判決という文章を公布することにより実現する機関なのである。

 そのような機関である最高裁判所に特許法35条3項の解釈がかかっていると聞いて、最高裁がどのような政策を実現するために、どのような法律解釈を展開するのか。
 筆者が注目していた点はそこにあった。

 より具体的にいうと、(a)特許法35条3項は強行規定であり従業員規則よりも優先するから、従業員規則に定められた報償額が同項の基準に満たない場合、発明者に追加報償請求権が発生し、企業は追加報償を支払わねばならないとするのか(原審維持)、それとも、(b)特許法35条3項は強行規定ではなく従業員規則が優先すべきであるから、従業員規則に定められた報償基準に基づいて支払がなされている以上、企業は債務をすでに履行しており、発明者の追加報償請求権は発生しないのか、という論点に対する法的解釈である。
 (強行規定の意味及びここから生じる問題点については、本シリーズ(1)オリンパス東京高裁解説参照)

 本判決において、最高裁は特許法35条3項が「強行規定である」とは言わなかった。
 しかし、下記のように述べて、結果として発明者に追加報償請求権を認めた(結論は上記(a)のとおりとなる)。
 「使用者等は,職務発明について特許を受ける権利等を使用者等に承継させる意思を従業者等が有しているか否かにかかわりなく,使用者等があらかじめ定める勤務規則その他の定め(以下「勤務規則等」という。)において,特許を受ける権利等が使用者等に承継される旨の条項を設けておくことができるのであり,また,その承継について対価を支払う旨及び対価の額,支払時期等を定めることも妨げられることがないということができる。しかし,いまだ職務発明がされておらず,承継されるべき特許を受ける権利等の内容や価値が具体化する前に,あらかじめ対価の額を確定的に定めることができないことは明らかであって,上述した同条の趣旨及び規定内容に照らしても,これが許容されていると解することはできない。換言すると,勤務規則等に定められた対価は,これが同条3項,4項所定の相当の対価の一部に当たると解し得ることは格別,それが直ちに相当の対価の全部に当たるとみることはできないのであり,その対価の額が同条4項の趣旨・内容に合致して初めて同条3項,4項所定の相当の対価に当たると解することができるのである。」

 ここでいくつかの疑問が浮かび上がる。
(1) 原審の用いた「強行規定」という言葉を用いず、上のような表現にしたのはなぜか。
 当然のことながら、最高裁判例は今後の実務の法解釈指針であり、その表現によって射程範囲が決定するので、判決文は、法律の条文と同じように一字一句の吟味がされた結果物であると思われる。
 「発明者に追加報償請求権を認める」という結論を導くにあたって、「特許法35条3項は強行規定である」といえば一言ですむのに、上のような回りくどい表現に終始した点はいかなる評価をすべきであろうか。筆者は「あらかじめ対価の額を確定的に定めることができない」といっているに過ぎず、「額及びその算定基準」とは言っていない点に着目した。(些末な議論に聞こえるかもしれないが、法律屋の世界では金銭支払債務の内容は(i)具体的な額で決めるか、(ii)その額の算定基準で決めるかのいずれかであるとされている。法律屋にとって、「額」と「算定基準」は概ねワンセットなのである。)

 「特許法35条3項は強行規定である」との判示であれば、額・算定基準その他全ての報償基準に関する会社と従業員間の取り決めは、特許法35条3項、4項に満たない場合無効とされる。しかし、最高裁はあえてこの論理を用いずに、事前に取り決めた「額」が特許法所定の金額に満たない場合は、追加報償請求ができるとしか言っていないように思われる(これはある意味では当たり前のようにも感じる)。
 それでは、「額」ではなく、「算定基準」が会社と従業員間において合意されていた場合、本件判決の射程内とされるであろうか。文面上は本判決は「額」としか述べていないから、「算定基準」の合意はそれが特許法35条3項、4項との関係で合理性がある限り(満たない場合であっても、さほど隔たりがない場合を含む)において、有効であると判断される余地もあるのではないか。その意味では、最高裁判決は原審よりも一歩引いた感がある。

(2) なぜこの時期に出されたのか。
 本事件は長らく最高裁において上告受理が保留されていたとのことであり、そのような前段の事情に比し、本判決はいかにも唐突に出された感がある。ここにも何らかの意図を感じることができる。
 本年2月21日に出された特許制度小委員会の議事録には以下のようなスケジューリングで職務発明問題の結論を出すとされている。


 時期的に見て、本判決は、これから行われるであろう本格的審議の直前である。もし本判決が本格的審議中またはその後に出されれば、いかなる内容であれ審議の混乱を来すことは必至であることに鑑みれば、最高裁は、上記行政の動きを阻害しないことを念頭においていると考えることはうがった見方だろうか。そうだとすると、時期のみならず、判決内容においても、行政の動きに対して影響を少なくするという考え方が基調となっているとしても不思議ではない。

 例えば、本判決において、「特許法35条3項は強行規定である」と宣言してしまえばどうなったであろうか。行政により法律改正に至ったとしても、改正後に同様の趣旨の下に設けられた規定は強行規定であることが法的に推定されることとなる。これでは、抜本から制度設計を見直そうとしている行政の意向に添わない。そういう意味で、今回の判決が上記のような表現にとどめたことは、新制度設計にあたって行政の裁量を最大限確保しつつ、事案を法律の枠内で処理するための便法ではないかとも感じるのである。

(3) 仮に、本判決において「特許法35条3項が強行規定ではない」と宣言したらどうなったか。
 この結論は、発明者の追加報償請求権を実質的に否定するものになるので、企業にとってはこの上ない判決である。「特許法35条3項が強行規定である」とする現行の判決に対して、企業知財部の団体である知財協を始め、批判的見解を含む多くの議論がなされているが、そのような判決がなされれば、目的達成により、一気にその議論はシュリンクするだろう。
 しかし、職務発明の問題は企業が利すればいいという単純な話ではない。コアにあるのは、有為な人材にモティベーションを与え、知的創造を奨励することによって、技術立国・知財立国を形成し、我が国の競争力を回復するという考え方であり、特許法35条3項の性質論は、このコアとなる考え方からすると下位概念に過ぎない。
そういう意味では、職務発明報償問題は、企業経営と創作奨励の調和という観点で今後とも論じられなければならない、国家政策にとって重要で普遍的な論点の一つである。決して一つの判決によって、企業側の不満を救済し、議論をシュリンクさせていいという類の話ではない。


 意図されたものであるかどうかはさておき、最高裁が白とも黒とも態度を明らかにしなかったことは、その表現、時期、結論において、今後展開されるであろう職務発明に関する議論をシュリンクさせない効果を最大限に発揮する。現象論的には、司法の最高府は、この問題を自らの守備範囲である法的解釈によって決着をつけるのではなく、「議論」及びそれに基づく「制度改正」という民主主義のプロセスに委ねたと解釈できるのである。

 そうであるならば、職務発明問題について、本判決によって決着がついたとは考えるべきではない。むしろ、企業の知財管理責任者や発明者の位置づけにある研究者、さらには、企業経営の立場から論じる経営者、法解釈や特許制度を専門とする法曹・特許実務家を交え、その壮大なテーマにふさわしい広い視野のもと、日本の国家戦略を見据えた骨太の議論を展開していくべきではないかと考えている。



鮫島 正洋(さめじま まさひろ)
 知財評論家。知財に絡む社会の動きを怜悧に捉え、万人にその本質を伝えることをモットーとする。酒と美食を愛し、堕落を旨とするが、知財に対する想いは人後に落ちないと自負する知財エバンジュリスト。表の顔は「弁護士」、知財マネジメント・コンサルを隠れた生業としている。